※記事内に広告・プロモーションを含む場合がございます。

【埼玉・秩父】大達原の手掘り隧道探索!暗闇を抜けた先にあった「奇跡の額縁」が凄すぎた

秩父:大達原の手堀トンネル 廃スポット(廃墟・廃道・廃線・酷道…etc)

大達原の手掘り隧道とは?歴史的背景について

大達原の手掘り隧道(手掘トンネル):ストリートビュー

秩父の山奥に、時を止めたままの「手掘りのトンネル」がある――。

10回以上この地を訪れているけれど、車がないと到底辿り着けない、まさに秘境。
今回は、ずっと前から私の探求心メーターを振り切らせていた場所、「大達原(おおだはら)の手掘り隧道」についに潜入してきたっ!

現代の快適なトンネルとは一線を画す、その無骨で荒々しい素掘りの姿。
まるで異世界への入り口のような隧道を前に、カメラを構える手も震えが止まらない…!

名もなき「山の遺構」との対面。
早速レポートしていく!

大達原の手掘り隧道へのアクセス

バス勢のスタート地点!【大達原バス停に降臨!】

西部観光バス:大達原停留所(秩父市)

秩父にある、ずっと行きたかった素掘りの隧道。
10回以上秩父には来ているけれど、車やバスありきじゃないと、なかなかアクセスしづらい場所。

交通機関:バス勢のあなたは、まずは大達原バス停を目指してください〜!!

大達原バス停に到着すると「…え、ここから始まるの!?」と、いきなり目の前に広がる山の深さに、冒険の予感がビンビン!
このバス停の上にあるのは、ただの道じゃない。
かつての人々の暮らしや、物流を支えていた歴史そのもの。

車勢はココを目指して!【旅のオアシス?大達原ふれあい交流トイレ】

新緑に佇む、大達原ふれあい交流トイレ(秩父市)

バス停の正面にトイレを発見…!
車で来る時は、この場所を目指していくのが良さそうだな!

駐車スペースも完備されているので、ここに車を停めて散策することができるぞ。
貴重な駐車スポットだ!

そして余談だがこの「大達原ふれあい交流トイレ」、想像以上に清潔で安心して使えるのが最高すぎる!
ただ、ここで一点だけ超重要なお知らせ!

⚠️トイレのドア、開けっ放し厳禁!!
開けっ放しだと虫さん大歓迎状態で入ってきちゃうから、退室時はちゃんと閉めるのがマナーだぞ。
※ちなみにここは貴重なトイレスポットなので、散策前のトイレはここで済ませておくのが無難だろう!

実際にトイレにも注意書きが貼ってあったんだけど、夏場は特に扉の開け閉めが運命を分ける…(笑)
次に使う人のためにも、しっかり閉めていこう!

経年の砂埃がまとわりついて煤けてしまった奥秩父:大瀧エリアの観光案内図

これは、大達原ふれあい交流トイレ駐車場敷地内にある案内板。
吹きさらしの場所だからか、砂埃を浴び続けて煤(すす)けに煤け、まるで長年山を守ってきた主のような佇まい。

【深まる歴史!大達原(おおだはら)エリア】

ちなみに、この施設正面から見て右側に、先ほど紹介した歴史のロマンが詰まった案内看板が鎮座しているぞ。
まずはここで情報をインプットしてから、いざ隧道の探索へ出発だ!

大達原ふれあい交流トイレに掲示してあった、大達原と旧三峰道の紹介看板(秩父市)

「おおだわら」かと思いきや、正しくは「おおだはら」!
そんな地名からすでにミステリアスなこの場所。案内板を読んでみたら、歴史の濃さがヤバかった……!

ざっくり要約するとこんな感じ!
・明治時代に掘られた、歴史ある手掘りトンネルが現存してる!
・平将門ゆかりの神社や、江戸時代の高札場跡など、歴史ロマンが詰まりすぎてる!
・この地はかつて、旧三峰道沿いの集落として栄えた場所なんだって。

かつての旅人たちや、山で暮らす人々が行き交った道。
当時の名残をこんなに感じられるなんて、もう胸熱すぎてどうにかなりそう!!
ただの山道かと思いきや、歩けば歩くほど歴史の深淵に足を踏み入れているような感覚になれるぞ。

大達原区への入り口

大達原区入口の看板が立っている(秩父市)

よぅし、準備完了!
ここからがいよいよ本番、大達原区の入り口から、さらに山の上へと登っていくぞ!!

大達原区へと続く入口の道路

さぁて…一体どれくらいの時間で辿り着けることやら。
先の見えない山道も、探究心を刺激されてむしろワクワク!!

【道中で見つけた謎の廃物体…】

大達原への道中に放置されたドラム缶(秩父市)

とぼとぼ山道を歩いていると、何やら怪しげな廃物体が。
「おっ、これは何だ!?」と興味津々で近づいて、中を覗いてみたんだけど……。

中はなんと水が溜まっていて、ボーフラたちが勢いよく湧き立っていた!!😱💦
(中の様子は、あまりにリアルすぎて自主規制の対象とさせていただくことにした🙅‍♂️❌すまん)

廃スポット探索は、こういう予期せぬ「生き物との遭遇」もセットだから油断できない…!
まさに大自然の洗礼、といったところか!笑

※🙅‍♂️食事中の方、一旦次だけは閲覧注意っす。。。

山道に残された野生動物のうんこ(推定)

そんな探索中、足元に目をやると、なんとツルンときれいな「ウン」が💩!
これぞまさに、山暮らしの主が残した芸術作品……!?

つか、こんなんに反応してしまうワイ、
小学生か

【道端に転がるナゾの鉄物体】

道端に転がるナゾの鉄物体(秩父市)

ガードレールの下、路肩に目をやると……何やら不穏な「鉄の物体」が転がっていた。

「おいおい、こんなところに何だよこれ」

ただの廃材か、それとも誰かが落として放置していったのか。
道端に不自然に鎮座するその無骨な形状。
一体何のために使われていたのかも分からぬい。

道端に転がる、正体不明の「謎の錆びた鉄くず」

道端に転がる、正体不明の「謎の錆びた鉄くず」。
あまりに気になりすぎたので、文明の利器・AIに画像分析を依頼してみたぞ!

その結果……なんとこいつ、山の急斜面で荷物を運ぶための「モノラック(運搬機)」のパーツか、林業用の特殊な道具である可能性が高いのだとか!
※100パーは、信じないでください。AIは間違うこともあります。

ただの錆びたゴミかと思いきや、実は秩父の厳しい山仕事を支えてきた、いわば『山の名脇役』の成れの果てだったとは……。(真相は不確定だが)
道端に転がるただの鉄くずにも、山で生きた歴史が詰まっているなんて、恐るべし……!

【ここで野生の気配!?電気牧柵の正体】

大達原へ向かう道の道中にあった電気牧柵(秩父市)

道を進んでいると、なにやら物々しい看板が目に入る。

『電気牧柵』だと……?
これ、簡単に言うと「触れたらビリッとくるデンジャラスな柵」のこと。
物理的なガードというよりは、動物たちに「ここは触ると痛いぞ!」と学習させるための心理的な境界線みたいなものだ。

気になって調べてみたところ、仕組みとしては、数千ボルトの高電圧をパルス状に流して、動物たちに「ここは触ると痛いぞ!」ということを学習させるハイテク防衛システムなんだとか。

ちなみに電流は微量だから命に別状はないらしいんだけど、うっかり触れたら大惨事間違いなし。
山道を歩いていると、こういう「人間の生活」と「野生の境界線」をリアルに突きつけられる瞬間がある。

大達原へ向かう道路(左側に畑が見えている)

電気牧柵を左手に、急カーブを曲がりきるとやっと…

大達原エリアの入口付近

\やたーーーっっ!!!/
集落入口まで辿り着く事ができた。

【八坂神社の祠?】

坂をあがった先にある八坂神社の祠(秩父市)

八坂神社の祠?
筆者の調べた情報が正しければ…「厄除け」「疫病退散」といったご利益がある神社らしい。

坂の上の大達原エリアに到着

「ようこそ、大達原へ」大達原集落の紹介看板(秩父市)

深いV字谷が特徴的な大滝エリア。
その荒川左岸の中腹に位置する大達原は、日当たりが良い反面、水源に乏しい土地だった。
かつての住民たちは、東の沢から水を引くことで、暮らしを守り抜いてきた歴史がある。

大達原の集落の名前の由来は、どうやら神奈川県の小田原から来ているらしいゾ。

【江戸の「SNS」! 秩父で見つけた「高札場」がガチで渋すぎる件】

今も残されている大達原高札場(秩父市)

集落近くを歩いていると、突如として異質な雰囲気を放つ建造物が現れる。
まるで小さな秘密基地のような、その名も『高札場(こうさつば)』だ!

「高札場って何?」という人のために解説しておくと、これは江戸時代、ルールや法律を民衆に知らせるために設置した、いわば「江戸時代のリアル掲示板」である。
スマホもテレビもない時代、この板こそが最強の伝達手段だったのだ。

今回訪れたこの高札場、その歴史を遡ること…なんと文久年間(1861~1864年)くらいに建てられたことが推定されているらしい。この時代からすでに存在していたと予測されているんだから驚きだよね。

スペックを見てみると……
・土台:しっかりとした石積み(高さ約1m)
・屋根:雨風から板を守る切妻造り
・本体:横幅約2.3m、高さ約2.4m、奥行1.2m

周りには木柵まで張り巡らされており、当時はこの高札に落書きなんかしたら最後、厳しい罰が待っていたというから、今でいう「炎上」どころの騒ぎではない。
江戸時代の高札場(こうさつば)や高札にいたずらをすると、最悪の場合は「死罪(死刑)」になる場合もあったってんだから鳥肌もんだ…🥶

当時の村人がこの前を通る際、どんな気持ちで板を眺めていたのか。
そう想像しながら歩く秩父往還は、ただの山道以上に歴史の重みが感じられて面白かったぞ!

大達原稲荷神社の紹介看板

大達原集落に鎮座するこの稲荷神社。ただの地域のお稲荷さんかと思いきや、看板を読んでみると……なんと平将門にまつわる伝承が残されているという!

将門没落の際、彼の娘がこの地に落ち延びて円通寺を建立し、父・将門の霊を祀ったというのだ。
なんとも歴史の深さを感じさせる神社なのである。

大達原稲荷神社の朱色の鳥居

元々は山口家の屋敷神だったというこの稲荷神社。ところが「非常に御利益がある」という噂が口コミで広まり、そこで、より多くの人がお参りしやすいようにと現在の場所へ遷座(せんざ)し、道も整備された……というのが、この神社の知られざる歴史だ。

おもしろいのが遥か昔、この土地で預言者なる人物がいたそうで、困りごとや失くしものの解決に一躍買っていたそうな。そういう謂れのお陰なのか、現代でも失くしものを探すにはご利益があると言い伝えられているみたい!(↑上記の紹介看板に記載あり)

大達原神楽殿(秩父市)

鳥居の真正面には神楽殿が。


…さーて名残惜しいけれど、先を急ぐ為、ちょちょいっと元来た道を戻って、
次の目的地へ向けてダッシュ!

強石方面⇔の標識(秩父市)

道標には「強石方面」の文字が。よし、強石方面へ突き進む!

いよいよ到着か?「大達原の手掘り隧道」へ続く山道の入口

新緑が芽吹き始めた、秩父市の山道入口

しばらく歩を進めると、目の前にはいかにもな山道の入り口が。
ここからが本当の冒険の始まりって感じだな……!

旧大滝村の転倒・転落・落石等の危険を促す注意看板

山道を歩いていると、旧村名の注意書き看板を発見!
古き看板の署名は「大滝村」。

そう、大滝村はもうずいぶん前に市町村合併で秩父市になっているはず。
時が止まったかのようなこの看板……。
そのまま撤去されずに残っていることに、なんだか歴史のロマンを感じてしまったぞ!

旧大滝村役場名義のごみ捨て注意の看板

おっ、またしても「大滝村」の名を発見!
今度はゴミ捨て禁止の立て看板だ。

さっきの看板といい、この看板といい、まるでタイムスリップしてきたかのような気分になるな。
合併から時は流れても、この「ゴミを捨てるな!」という強い意志だけは、当時からバッチリ受け継がれているようだぞ。

【足元に眠る「大滝村」の証! 測量界の縁の下の力持ち『補助多角点』】

旧大滝村の補助多角点

山道を歩いていると、足元に「補助多角点 No 24 大滝村」と書かれたプレートを発見!
……って、おいおい! ここにも「大滝村」の名前が残ってるじゃないか。もはやこの山は「大滝村遺構」の宝庫かよ!

このプレート、一見すると何かの暗号か歴史的な遺物に見えるが、正体は測量界の「縁の下の力持ち」こと補助多角点。(このプレートは測量標の一つとのことだ)
大きな測量を行う際、メインの基準点から死角になる場所に設置され、測量を補助する役割を担っている。いわば、地道に働く「名もなきヒーロー」だ。

役目を終えてひっそりとプレートだけが残されることも多いこの存在。
次に道端でこいつを見かけたら、歴史のロマンに思いを馳せつつ、心の中で「お疲れ様!」と声をかけてやってくれ。測量界の渋い遺物だ!

山道の道中(秩父市)

山道に入ってからは、足取りも軽くサクサクサクサクと快調に進む。
……と、左手の木々の緑の間に、ぽっかりと闇が口を開けているのを発見!
そう、あれこそが今回の最大の目的地「手掘り隧道」。

山の合間に見える、採石場のような場所

さて、いよいよ本丸の素掘りトンネル……と行きたいところだが、ちょっと待ってくれ。
ふと右側に目線をやった瞬間、視線が釘付けになってしまった。

……なんだ、あの採石場のような場所は!?

山の途中に地面が削られていた、あの異様な光景。
本来の目的を忘れそうになるほど、マジで気になりすぎるだろ。

ちょっと寄り道↓気が向いたらこっちも読んでくれ👀

歩いてみた!大達原の手掘り隧道が魅せる「奇跡の額縁」

秩父・大達原の手掘り隧道の入口

見てくれ、これぞ大達原の「手掘り隧道」の入り口だ!

ただの穴じゃない、岩肌を直接削り出して作られたこの荒々しさ……!
長年、ここで静かに時を刻んできたんだと思うと、背筋がゾクゾクするような存在感だ。
機械で掘ったトンネルには出せない、当時の人々の息遣いが聞こえてきそうな……まさに探索者として震える瞬間だな。

あと、気になるトンネルのサイズ感だけど、幅3.45メートル、高さ4.8メートル、全長40.5メートルという圧倒的な規模!実際に目の前に立つと、この数字以上にその存在感に圧倒されるはず。

秩父・大達原の手掘り隧道 入口上部

おっと、素掘りトンネルの岩肌に……おいおい、あれは何だ!?
天井に金属製の「カーテンレール?」みたいなものが埋め込まれているぞ。

こんな山奥の手掘り隧道に、なぜカーテンをかける必要が?(笑)
いやいや、もしかして何かの補強用? それとも……このトンネルに隠された秘密の跡?
あまりにも唐突すぎてツッコまざるを得ないこの謎パーツ、誰か正体を教えてくれー!

(さぁ、いよいよ隧道に突入だ。)

秩父 大達原の手掘り隧道からの風景

ふと振り返ってみると、そこには息をのむような景色が広がっていた。

トンネルの中間地点で背後を振り返ると、暗闇の中に切り取られた、鮮やかな緑の世界。
暗いトンネルと眩しい外光のコントラストがあまりにも鮮烈で、まるで別世界への入り口を覗いているような気分だ。まさに「奇跡の額縁」。
疲れも忘れて、しばらくこの光景に見入ってしまったよ。

暗闇の世界には思いもよらない「ご褒美」が待っていた。
まるで、ここまでの道中の歩きの疲れを吹き飛ばすための、粋なプレゼントのようだ。

大達原の手掘り隧道(秩父市)

だんだんと、反対側の出口に近づいてきた。

隧道内から外を見ると、木々の緑が眩しい。別世界のよう。
真っ暗なトンネルという「異空間」から見る外の景色は、まるで映画のワンシーンのようだ。

今ののどかな風景からは想像しにくいが、このトンネルはかつての交通の要衝だったらしい。
秩父・大滝地区の入口、かつては石灰岩が険しく立ちはだかる難所だったこの場所。
大正10年(1921年)に現在の国道140号が開通するまで、三峯神社を目指す参詣道として多くの人々がここを通っていたそうだ。

しかもここ、大正5年(1916年)の巡検時に宮沢賢治も通ったルートらしい。
あの文豪が同じ道を辿り、三峯神社を目指していたというエピソードはかなり熱い!
宮沢賢治好きの筆者としても…賢治も見たであろうこの風景を、今も同じように歩めるなんて、探索者としてはたまらないスポットすぎる。

秩父市の大達原の手掘り隧道(大達原トンネル)紹介看板

一息ついて、現地の案内板にも目を向けてみた。
「大達原の手掘り隧道」の歴史、読み込んでみると……これまた凄まじいな!

明治中期以降に、馬車を通すため人力で掘られたというこのトンネル。
当時「何寸掘れば何銭」といった風に日当を支払っていたそうで、今で言う「完全出来高制(なのでは!)」でコツコツと掘り進めたというんだから驚きだ。

しかも、当時の現場監督だった山中幸四郎さんは、当時荒くれ人夫をまとめるのに苦労したという、ちょいリアル エピソードも残っているw
当時の人々の「なんとしても道を通す!」という執念が、この岩肌の荒々しさにそのまま刻まれているような気がする。

かつては三峯神社への参拝客で賑わう茶屋もあったというし、この小さなトンネルが当時の重要インフラだったことは間違いなしだ。
ただの素掘りトンネルだと思って通り過ぎるには、あまりに濃すぎる歴史ドラマがここにはあった。
これを知った上で見ると、トンネルの深みが全然違って見えるな……!


さて、歴史の余韻に浸るのはこれくらいにして。
この周辺に何があるのか、まだまだ探索は終わらないぞ!

洞窟を抜けた先には、石碑が佇んでいる。

ふと視線を上げると、岩場の上にポツンと立つ石碑のようなものを見つけた。
\謎すぎてなんてこった/

近づいてみたが、長い歳月を経て刻まれた文字は風化してしまっているのか、残念ながら判読不能。
どことなくお地蔵さんが形どられているような雰囲気も?それとも筆者の気のせいか(?)

誰が、なんのためにこんな場所に建てたのか……。
山が語りたがらない秘密を前にしたような、なんとも言えないロマンを感じるぜ。

洞窟を抜けた右側の風景

隧道を抜けて右へ折れると、またしても現れた「大滝村」の看板!
この執拗なまでの「大滝村」アピール、なんだか、妙に愛おしいな。笑

周囲は深い森に囲まれていて、静寂の中に歴史の息吹が漂っている。

旧大滝村のごみ捨て禁止看板

看板に近づいてみた。またしても遭遇した「大滝村」の文字。
「ごみ捨て禁止!」の看板だ。

……ん? このキャラクター、なんだか妙に気合入っていないか?
睨みを利かせた缶のキャラクターが「ごみを捨てるな!」と全身で叫んでいるようなこの圧。
経年劣化で少し寂れた看板のデザインも相まって、むしろ今の時代ではなかなか見られない「昭和レトロ」な味わい深さを感じてしまう。

かつての村の情景を物語るような、ある意味での「遺構」。
ごみを捨ててはいけないのは当然だけど、この看板が放つ独特の存在感には、思わず足を止めて見入ってしまうな。

過去使われていたであろう煤けたベンチ

おっ、山道の一角にポツンと置かれたベンチを発見!
昔はハイカーたちの憩いの場だったんだろうか。
今ではすっかり周囲と一体化して、だいぶ燻んだ渋い姿になっちまっている。

誰も座らなくなって長い時間が流れたんだろうな……。
このベンチが歩んできた物語を想像するだけで、探索の疲れも心地よい余韻に変わる。

放置された鍋の遺物

こりゃー、鍋か!?

……と、思わず二度見してしまった。
山道の真ん中に鎮座する、この年季の入った鉄鍋。
案内板にあった「かつてここには茶店があった」という記述を思い出すと、俄然リアリティが増してくるな。

もしかして、三峯神社への参拝客がひっきりなしに訪れていた時代、この鍋で温かい料理が振る舞われていたんじゃないか?
そう想像すると、ただの錆びた鉄塊が、一気に当時の賑わいを今に伝える「重要遺構」に見えてくるから不思議だ。

現代の静寂の中に、確かに息づいていた人々の営み。
かつての賑わいの名残をこんな場所で拾うことになるとは……。

ロッククライミングで使われているハーケン(杭)が打ち込まれていた絶壁の岩壁

ふと岩壁をじっくり観察してみると……おいおい、これは何だ!?
よーく見ると、ロッククライミングで使う「ハーケン(杭)」を打ち込んだ跡が無数に残っているじゃないか!

こんな険しい場所で、かつて誰かが壁に挑んでいた証拠が、こうして時を超えて残っている。

【プチコラム】岩壁に残る「ハーケン跡」

現代のクライミングでは、岩を傷つけない「クリーンクライミング」が主流なんだそうだ。
岩壁という自然環境への負荷を最小限に抑え、取り外し可能な器具を使って登るスタイルは、変わらぬ自然を次世代へ残すための現代のマナーといえる。

しかし、過去に目を向けると、登山を取り巻く状況は異なっていたらしい。
ハーケンもそのまま、現地に残されることも少なくなかったそうだ。

秩父・大達原の手掘り隧道の出口

さてこちらが、反対側の出口だ。
入り口以上に、岩肌の「むき出し感」がハンパない!

機械で綺麗に整えられたトンネルとは訳が違う。
当時の職人たちがノミとツチだけで岩を削り出した、その生々しい質感が全身に迫ってくるよう。

秩父 大達原の手掘り隧道からの風景

「ただのトンネル」なんて言葉では片付けられない。

この景色に出会うためだけに、また秩父の山奥へと足を運びたくなった。
さて、次はどんな暗闇を切り取りに行こうか。

タイトルとURLをコピーしました